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以前宮城谷先生にお話を伺った際、奇貨居くべしを書く際に呂不韋の終わりの悪さが気になりませんでしたか?と質問をしました。「それを含めて呂不韋を書きたいと思った。奇貨居くべしという言葉から物語を始めたら、文末はああなることも納得して書けた」とおっしゃってました。やはり、それほど魅力的な人物だったんでしょうね。動画ありがとうございました。
宮城谷先生にお話を伺う機会があったんですかァ!?凄ォい!!
@@c-history たまたま知人の旅館によくお泊りになっていて、ご旅行の際に懇親会をさせて頂きました一生の思い出です
キングダムの呂不韋編はホント面白い。カリスマと理想論で語る政と、金と現実論で語る呂不韋の対比が素晴らしい
ありがとうございます!
いつもご支援いただき、まことに……まことにありがとうございます!ご厚意を噛みしめつつ、これからも動画作りに邁進していきますッ!!
いつもありがとうございます!孝文王と華陽夫人の画像が、私が唯一見終えた中華ドラマのでした。あの孝文王、浅薄で短慮で狡い人でしたが、妙に可愛かったんですよね。
ご支援まことにありがとうございます……!ご厚意、いつも励みになっております……!!!
ありがとうございます!動画面白いです!呂不韋自身の行動だけでなく、、並行して長平の戦いがあったことを知ると理解に厚みが出来てとても楽しめます。秀逸なコメント欄を眺めながら何回も観てしまいます✨
多大なご支援、まこと感謝感激雨霰に存じます……!!異説新説訂正考察爆笑ネタ、RUclips上の精鋭中国史勢が寄せてくれるコメントに私もいつも助けられ、楽しませていただいています!
何が凄いって、自分自身の意思で歴史を作った所なんだよね。流れの中で功を為したのではなく、自分で流れそのものを作ってしまう。
呂不韋回、、面白かったです!!商才があり政治も操り軍隊も率いていく、、間違いなく逸材なだけに、とも思います関連の動画も見ます!
ご支援ありがとうございます……!!お褒めの言葉に加えて格別のご厚意……まこと感謝感激雨霰でございますッ!!!
聶遠さん「呂不韋、乾隆帝、ホンタイジ、趙雲、玄奘三蔵の弟子の弁機を演じました。」今回の動画の登場人物の中では華陽夫人(太后)が一番幸せですね。呂不韋の自決後も秦王政の義理の祖母として敬われ、秦による楚への侵攻が始まる前に他界しています。
呂不韋の出世のきっかけや内政、大分学識を感じる…若い時かなり勉学に励んだんかなぁ
Thanks!
いつもご支援いただき、まことに感謝いたします……!有り難き事この上ありませぬ……!!!
李斯は呂不韋の食客だったのですね。呂不韋失脚後も始皇帝から重用され続けてますから、相当優秀だったのでしょうね。いつか、李斯の動画も見たいです。
キングダムがさらに解りやすくなりました!ありがとうございます!
宮城谷春秋シリーズいいですよねー!楽毅が好きすぎる😀
親戚の可能性がある呂公が、わりとリスクヘッジな贈与したのに対して呂不韋は全賭けしてるのが面白い
呂不韋キターー「始皇帝をつくり」っていうところが意味深w
そうですね。自ら王になろうと努力した呂不韋が、どこかで男より父でありたいと願ったなら、王の上に立つ皇になった我が子に処刑される時、さぞや満足して逝ったと思いますよ。
李斯もだけど、一介の士から国を操る宰相にまで上り詰めた野心家が悲惨な末路を迎えるのを見ると、何が幸せなのかわからなくなる。
斉の桓公と管仲は、李斯や呂不韋とは逆でしたね。管仲はかつて桓公の暗殺を実行した人物でありながら、後に宰相となり桓公を覇者とした「王佐の才」桓公も生涯管仲を疑うことも失脚させることがなく、桓公の失政は管仲の没後にやってきた。幸せに命を全うするのに李斯や呂不韋に何が足りなかったかといえば、鮑叔がいなかったこと、ですかね。
まず初動の動きが出来る情報を持っているのが凄い
死後、食客たちが墓を作ったそうです(河南省偃師区首陽山鎮)。始皇帝の追及を避けるために、呂不韋の母(あるいは妻)の墓とされたそうです。
呂不韋ってほんと現代社会からしたら考えられないくらい超絶出世ですよね🙄こういう背景とかも語られてる動画って少ないので楽しく見させてもらいました!
趙姫元々、一富豪の囲い女だったのに、大国の国王の母君にまで上り詰めている…………………(当然ながら、かつての囲い主の呂不韋と立場が逆転している、というおまけ付き)
始皇帝からすればなんとしても排除したい立ち位置ですよね、どうあっても身を全うする事は出来なかった感……でも歴史に残したものは偉大すぎるほど偉大な人物でもあります
呂不韋は決して仁君ではないと思いますが呂氏春秋を残してくれたこの一点だけで、もう充分だと思いますね。
後世に残るのは記録したものだけですからね。
確かに
達人伝読んでみようっと。
兵馬俑だったと思うが、呂不韋の名前が刻印された武器が発掘されていた。「奇貨居くべし」は面白かった。
范蠡のように、晩年も上手く過ごすのは難しいですね
めちゃくちゃ見応えあった!力作ですね。お疲れ様です。権力を縦にするという点では、王や皇帝よりもその側近、ブレーン的な存在の方が、表立ってない分低リスクの旨味がありやり方次第では実質一番の勝ち組だよなあ、と個人的には思ってました。 最期以外はいい人生だったんじゃないですかね呂さん。
商人は、士農工商では一番下位の身分から士大夫の頂点である宰相まで登り詰めたのは、戦国時代では最初の具体例を作り出した存在ですね。呂不韋の才能はまさに多才ですね。
始皇帝にとって「目の上のコブ」であった呂不韋。范蠡のように、どこかの時点で全部捨てて逃げるぐらいしないと終わりを全うすることは出来なかっただろう。なお呂不韋・趙太后・嫪毐の関係は、我が国奈良時代の恵美押勝・孝謙女帝・弓削道鏡の関係に当てはめられて面白おかしく語られた。為に、恵美押勝は女帝の寵愛を道鏡に奪われた嫉妬で『恵美押勝の乱』を起こしたことになり、嫪毐に例えられた道鏡は“キョコンの男”と無い名を付けられてしまった。史実の当人たちには大変な風評被害だろう。
道鏡の復権も最近はなされてきてますね。
呂不韋の功績としては、文化的には呂氏春秋。これは誰もが納得するところであろう。さて、春秋戦国時代は周代の身分制度が色濃く残る時代である。基本、支配階層の下層から位を昇りつめることはあっても、被支配階層から位を昇りつめることはなかったことを考慮すると、呂不韋が位を極めたことは異例と言えよう。また、いくら秦において商鞅の変法以降、軍制では庶民でも功績で階級が上がっていく制度を創設したり、徹底的実力主義のおかげで能力さえあれば出世できる環境という素地があったとしても、即位前の功績でいきなり秦国外の要衝を与えられ要職に就いたのは、やはり異例と考える。司馬遷は、呂不韋は外面は良くとも内面は不誠実であったと批評しているが、為政者で全てにおいて誠実な人間なぞいないわけで、やはり儒教の影響を強く受けた批評であると考えられる。今回の投稿を見るに、呂不韋は先見性と交渉力、それから政治力を兼ね備えた傑物であったという評価をしたい。
華陽夫人の画像が美人すぎてしばらく集中できなかった…
コウラン伝の作中で幾つになっても美魔女でした。
宮城谷さんの小説は好き
横山版史記、華陽夫人の名ゼリフ。「そうなのよねえ」。
安国君と華陽夫人の画像がコウラン伝。嬉し懐かしい。作中の趙姫は清楚で凛とした立ち居振る舞いの描写でした。
「奇貨居くべし」まさに人類史最大級のバクチに勝ちかけた男💣
かけただけ、、
ちょうどキングダムで呂不韋でてきたからタイムリー
こういう人物は得てして運で名声を得た成り上がり者というイメージを持たれますが、それを黙らせるほどの名声と知謀と先見性。政治や外交戦略で力を発揮した英雄型の人間とはまた別種でしょうが間違いなく傑物と呼べると思います。
宮城谷先生の「奇貨居くべし」、当時宮城谷先生の本を漁っていて、続巻を首を長くして待った思い出がw先生は中華初の民主主義者と称したけど、実際はどうだったんですかねぇ。
ふむ、呂不韋さんが異人太子に興味を持ったのは異人太子が聡明だと聞いたからなんだね。だからハッキリ貴方を支援するから見返りを下さいって言ったし、異人太子も其れを直ぐに理解して国の半分を渡すって凄い取引をしたんですね。国の半分かぁ!異人太子も凄い人だったのですね。
荘襄王の早死には結果として呂不韋の早死ににも繋がったような気がします。でも荘襄王がもし長生きしてたらと考えると色々難しい…。
呂不韋くらい有能なら先手を打って反乱を起こす機会はいくらでもあったと思うけど最後まで反乱を起こさずに静かに自殺したのは秦王政が自分の子供だからという気持ちもあったからじゃないかなこの二人の間にしかない独特な関係が確かにあったと思います
農業中心だった当時の社会で、商人呂不韋の財力・人脈・情報力・行動力は革命的でしたね。2200年前の話なのに、成功と破滅と内情がここまで生々しく記録されているのも凄いと思います(笑)。
たた
キングダムの呂不韋の回想で商人の上司とのやり取りが印象に残った
@@コーッケッコあれ父親だと思ってた
『達人伝』での呂不韋の人物造形が好き
呂不韋が始皇帝の父親かどうかは永遠の謎ですね。史記は秦を倒した漢の時代の書物なので、秦王政を貶めて秦の正当性を否定する理由はいくらでもあります。一方で、始皇帝の異常なほどの革新性は、王族の血筋を引いていないその出自に由来する、と考えると辻褄が合うような気もします。ま、今更DNA鑑定も出来ない以上はほんとにこれは謎ですね。僕は個人的には托卵派です。その方がこの伝説的な皇帝の性格に相応しく、話としても面白いので。
『キングダム』でしかリョフイを知らない人には、『奇貨おくべし』をぜひ読んでもらいたい。本当に面白くて何度読み直しても楽しめます。宮城谷先生の戦国中期から漢の初頭の頃を描いた作品を、『モウショウクン』、『ガッキ』、『奇貨おくべし』、『コウランキ』、『劉邦』と時代順に読むことができれば、さらにいいと思います。
ロウアイもしかしたら、生前は「李○」「張○」とかの姓名だったけど、死後の「刑罰」として、このようなあまり見かけないネーミングにしてしまったのかも?(まあ、これは裏付けの無い戯れの想像ですが……………)
呂不意が長靴をはいた猫になりきれなかったのは、カバラ男爵が早々に亡くなっちゃったからでしょうね。
まさに邯鄲の夢…
コウラン伝を使ってくれて、嬉しい!ありがとうございます!
おはようございます。まさかアイドル鳥越ちゃんが来るとは!あの自分を捨ててるスタイルには驚嘆!ある意味尊敬してしまいますww呂不韋キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!まあ、才によって位人臣を極め、才によって(女性関係?)滅んだ人間の代表の一人でしょうなあ。それにしても始皇帝は誰の子だったのか?未だに分かりませんが、きっと未来永劫分からないんだろうなあ。陰謀論的な事を言えば荘襄王を密かに暗殺し年端の行かぬ嬴政を操り人形にしたまでは良かったが嫪毐の件で、大后との密通と出生の秘密まで知られて身を滅ぼす事になったとか?
この後にごろつきから皇帝になる男に結果的に先行投資することに成功し、権勢を手にする一族も呂姓なんですよね。偶然にしても凄いなぁ。
呂不韋の同族とされている人物…呂公・呂雉 (郭沫若・佐竹靖彦等)呂不韋の末裔と思われる人物…呂凱 (『三国志』蜀志呂凱伝)
呂不韋、最後の最後は女性関係で失敗してしまいましたね。切るに切れなかったんでしょうね。呂不韋ほどの人物が簒奪をしなかったてところに、当時の身分制すごかったんやなと思います。
始皇帝の母ちゃんスケベすぎる...
中華は頑張っても運ゲーなので太く短くの人が多い気がするが、呂不韋は宦官外戚を除き中華史上一番太く短かった気がする。
今更ながら、呂不韋が異人(子楚)を邯鄲で見た瞬間が「その時でした」(松平定知)ね。
イメージとしては田中角栄。善ではないが悪でもない、清濁を豪快に飲み干す傑物のイメージ。相手が始皇帝でなければ秦のために、名宰相として最期を全うできたと思う。
凄い方ですよね~😅魅力的な人生💖
左下にカルマいるのほんと好き
秦王政は荘襄王の子であって欲しいし、そう信じている。呂不韋は最期心残りもあったろうけど、納得はいったのでしょう。幸せだったかどうかは別として。
医療も栄養学も発達してない当時、死ぬ時は本当にアッサリ死んでた。しかし当時は老齢扱いである50を超えてたとはいえ、孝文王の死が唐突すぎて呂不韋による毒殺説すらあるんですよね。
荘襄王がもう少し長生きし、成人した政が即位する時点で引退すればうまく逃げ切れた可能性はありそう……
「夫れ聞なる者は、色に仁を取りて行いは違い、之に居りて疑わず。邦に在りても必ず聞え、家に在りても必ず聞ゆ。夫聞者色取仁而行違、居之不疑、在邦必聞、在家必聞。」(孫子 顔淵篇)でしたでしょうか。司馬遷は、呂不韋を上辺だけの人と言いたかったんですね。呂不韋は政治家、商人だったんだと思います。報いは受けたのだから、呂不韋という政治家、商人だったという、それ以上も以下も無い評価でいいのかな。(笑)動画面白かったです。長文すみません。
31:21秦の宰相は割と処刑されがちだから、孫子の代まで報われるのはかなり厳しいんだよなぁ。商鞅や李斯はどうなりましたかね。
怒涛の「いじん」ボケラッシュ、わかりつつも笑ってしまって好き
孝文王も24みたいにタイマー付きで72時間フルにやれば最長動画になる(睡眠時間+倒れてる時間含む)
やはり中国史は面白い!ビールも美味い!最強の組み合わせです!
いつも渾身の動画ありがとうございます🙇♀️本筋とは異なるのですが、支配者階級たる士大夫?階級というのは結構後世まで統治?システムや要路として残っていたと聞いたような気がするのですが、どういう由縁の人が士大夫階級になったのでしょうか?何かの折に教えていただけますと幸いです。
栄華をきわめたら素直に身を引けという教訓の典型的人物なのかな😔それがなかなか出来ないのが人間だし、周りが許さなかったのかもしれないけど。
斎藤道三の逸話は呂不韋を参考にしてるのかな
チソコで立身してチソコに滅ぶ。正に漢の中の漢。知性に優れたチソコという珍しい歴史的英雄。
孝文王が在位3日と言うのは何やらきな臭いですね即位の礼や戴冠式等 結構体力のいる儀式は挙げられた身体が僅か3日しか持たないなんて勿論 心臓発作や脳溢血等の突然死は有りますが 孝文王の次王が荘襄王なので呂不韋が暗躍したのでは?😱
必ずしも、暗躍とは言いきれないかと(汗)😅当時の孝文王も既に40代後半~50代になっていたし何せ、その父で前王の昭襄王は推測で60代後半~70代辺りで亡くなっているし当時は、亡くなって直ぐではなく一年忌?を過ぎてから王を称していたからそれほど不思議な事でもないかと(汗)😅
@@kar-zyu 様一年忌で王号が与えられる?そうなんですか?Σ(゚д゚;)初めて知りました 🤧1年あればそれ程不自然でも無いですね😊なんせあの呂不韋ですから邪推してました( ̄▽ ̄;)
呂不韋といえば「奇貨居くべし」キングダム読んでていつ出てくるかな?と思ってたら、太后とのアレの最中にぶっ込んでくるとは恐るべし原先生w
今回も動画を閲覧した者です。 今回もキングダム回、呂不韋と来ましたね。 キングダムの影響からか、動画の呂不韋の顔が古い書画ではなく、キングダムの顔に見えてしまい、その顔から覇気を感じますね。 呂不韋は動画でも紹介されたように、財力、行動力、弁舌が当時の人以上にあったからこそ、歴史に残ったと思いました。 しかし裏の面は始皇帝の人格と人生に影響を与え、始皇帝にダークサイドの面を与えてしまったのではないでしょうか? 文化面、政治面、経済面は投稿者さんの言うように評価に値しますが、裏の面を考えると、複雑ですね。でも人間誰しも完璧ではないので、どう評価すべきか、難しいですね。 今回も良い動画を提供していただき、ありがとうございました。 呂不韋はメジャーなキャラクターなので、そろそろメジャーなようでメジャーではないキャラクター、又は遊侠の徒【主に朱家】、又は夏侯嬰【夏侯惇の祖先】をリクエストします。 コロナ過の真っ只中ではありますが、投稿者さんも身体とメンタルに気をつけて、今後もより良い動画を提供していただければ、幸いです。 話が長くなりましたので、ここで筆を置きます。
春秋戦国時代の動画で顔が分からない人をキングダムのキャラ絵で代用するの好きw
荘襄王が呂不韋に与えた洛陽って当時の秦の勢力圏だったのですか?
11:14ちょっと、ドラクエ1の竜王っぽいですね。もちろん偶然の一致でしょうが。
_人人人人人人人人人人_ > アイドル鳥越人間 < ̄Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y ̄
呂不韋の子が始皇帝というのは間違いないのだろうか。非常に気になりますね。
奇貨居くべしでは、「王を法の内側におければ、秦は長命になる」と言ってそれを目指したけど、うまくいかなかったんだよなあ。王を法の内側に入れるとは立憲君主制に繋がるから、それが実現できれば秦はあんな滅び方はしなかっただろうなと思う。
立憲君主制が初めて確立した国は、十七世紀のイギリスじゃん。もし、この時代の秦に立憲君主制を採用しても時代錯誤やろ
@@ナンジェイミンポーランドのヤゲウォ朝の方が早いかと
とりごえ食品のうどんが、もう一度食べたい。。
李斯を推挙したのも超超超大手柄!
呂不韋はおそらく間違いなく始皇帝も父親でしょうね。しかし、それを史記に記すと、漢にとってもあまりよくなく……呂雉、親父が人相観の達人とのことだが、一介の地方の小役人が一国の王になるなど誰が予知するであろうか?そんな遊び呆けた男に娘をやる男……漢帝国の父の呂公……呂氏が商(殷)人であったなら、地方に散らばっているのも納得できます。皇帝の後ろに呂氏ありきとなっては始皇帝みたいに面目丸潰れですしね。
宮城谷せんせいの呂不韋はすごくいい話だけど、キングダムとかでは悪役ですよねー
彼の死後、一族は第二の奇貨を求め、全国に散った。その一人が漢高祖の妻、呂太后の父呂公だと言われている。
スケールダウンすると劉備における糜竺。然れども、温和で善良な分終わりがよろしい。
なるほど、おもろい
確か最後弟が裏切って土下座謝罪することになったんだっけか....いい終わり方かなあ...(劉備は気にするなって言ってくれたけど)
本当に始皇帝の父親だったんですかね……俗説では漢の高祖の妻である呂后も呂不韋と同じ一族の可能性があるんでしたっけ。まぁ色々な噂話がついて彼の事績は都市伝説じみたかたちになっているなと思うところがあります。ですが、それでも呂氏春秋を編纂した功績は大きいかなと自分も思いますね。百科事典としては、ローマの大プリニウスが編纂した博物誌よりも250年近く前の時代のものですし。
蜀への徙刑だったにもかかわらず、これ以上ジタバタしても見苦しいから、覚悟を決めて毒を仰いだ… 潔い最期ではなかろうかとも思えます
親の代から商売で鍛えた交渉力と説得力、そして後に始皇帝の父とされる「子楚」こと秦の荘襄王を見出し、後年「呂氏春秋」を編纂した呂不韋。始皇帝の実父と言うことで当の始皇帝の怨念を買い自滅する羽目になるが、その奇功奇才ぶりはもっと評価されていいと思うが。。。。
呂不韋が身を全うする世界線はあったんやろか
やはり、「一富豪として生涯を全うする」しか思いつきません……………(経緯は異なりますが、越の范蠡も亡命後、富豪「陶朱公」として余生を全うしましたし)
キングダムなら秦が権力を得る前に暗殺する機会が沢山あるけど史実の呂不韋が、どの程度の権力があるか分からないので何とも言えない…
始皇帝の母ちゃんってスキモノやな🤔
「達人伝」でのその場面も面白い。生まれた子が呂不韋そっくりなのがなんとも言えない。
趙に人質がいたのになぜ長平の戦いは起きたのですか?
山ほどの恩も、一簣(いっき)の恨みですべてをなみす。これだから中華史は面白いけど、中華人が絶対に幸せにならない絶対的な理由。
呂不韋が秦王政の母とよりを戻し、密通をした事自体は評判は良くない(政敵に讒言の口実を与える)にせよ、当時の秦の法では違反ではなかったし、嫪アイの乱で処罰されたのも、そもそも嫪アイを趙太后に推薦した人物だから、それに連座しただけだし、蜀への流罪を言い渡されたのも、蟄居処分後も食客を頻繁に招いたりしていたので、嫪アイの件での反省の色なしと見られたからであり、そこに秦王政個人の感情はあまり入っていないと思います。ただ、肝心の秦王政が呂不韋をどう思っていたのかは資料に残っていないみたいでわからないんですよね…。(当時すでに秦王政の実父は呂不韋であるという噂が流れていたみたいなので、あまりいい感情は持っていなかっただろうが…。)呂不韋ほど栄枯必衰のいい例の人ってあまりいないですよね。ただ、「奇貨居くべし」といって、実際に行動に移し、栄光をつかみ取ったのはすごいと思います。呂氏春秋の編纂や李斯などの後の始皇帝を支える人材を招くなど、何やかんやでその後の中華史に大きな影響を与えていますし。周王朝に完全にとどめを刺したのは呂不韋だったのか…。約800年続いた歴代中華王朝最長の周もこの時についにその命脈が絶たれたのか…。(なお、秦末期に各地で秦に滅ぼされた諸国の復興を叫んだ集団が多数現れたが、どうも周の復興を叫んだ勢力はいなかったらしい。何か哀れ…。)
いわば「逆范蠡」か。
少し不思議なんですが、異人はたくさんいる子どもの一人だったとして、「人質」だったのは間違いない訳で。普通、人質ならお互いに攻撃された時、殺されると困るから人質の価値が生まれるはずで。そうすると「冷遇されていた」は「どの程度本当なのかな」と。勿論、当時の秦と趙ですから「人質の効果は薄かった」のも間違いないでしょうけど、呂不韋の手腕を示すために「話を盛った」気がするんですよね〜🤔ま、証拠はないので、何か検証可能なものが出てこないかなぁ、と思います。
呂不韋と始皇帝の遺骨が残っていれば、DNA鑑定が出来るかしら? 親子か否かが分かるかも。
初見帰宅時の車中で聞いてて安国君がどうしても暗黒君に脳内変換されて、ダースベイダーかよと思た。異人に暗黒君、スターウォーズのスピンオフになりそう。
呂布カルマさんいますね(▭-▭)✧見逃しませんでしたよォ⚯˶👌🏻カチャ……
商人としては辣腕ながら、扱った商品についての理解が深くなかった事が命取りになった感が…
以前宮城谷先生にお話を伺った際、奇貨居くべしを書く際に呂不韋の終わりの悪さが気になりませんでしたか?と質問をしました。
「それを含めて呂不韋を書きたいと思った。奇貨居くべしという言葉から物語を始めたら、文末はああなることも納得して書けた」とおっしゃってました。
やはり、それほど魅力的な人物だったんでしょうね。
動画ありがとうございました。
宮城谷先生にお話を伺う機会があったんですかァ!?
凄ォい!!
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たまたま知人の旅館によくお泊りになっていて、ご旅行の際に懇親会をさせて頂きました
一生の思い出です
キングダムの呂不韋編はホント面白い。
カリスマと理想論で語る政と、金と現実論で語る呂不韋の対比が素晴らしい
ありがとうございます!
いつもご支援いただき、まことに……まことにありがとうございます!
ご厚意を噛みしめつつ、これからも動画作りに邁進していきますッ!!
いつもありがとうございます!
孝文王と華陽夫人の画像が、私が唯一見終えた中華ドラマのでした。あの孝文王、浅薄で短慮で狡い人でしたが、妙に可愛かったんですよね。
ご支援まことにありがとうございます……!
ご厚意、いつも励みになっております……!!!
ありがとうございます!
動画面白いです!
呂不韋自身の行動だけでなく、、並行して長平の戦いがあったことを知ると理解に厚みが出来てとても楽しめます。
秀逸なコメント欄を眺めながら何回も観てしまいます✨
多大なご支援、まこと感謝感激雨霰に存じます……!!
異説新説訂正考察爆笑ネタ、RUclips上の精鋭中国史勢が寄せてくれるコメントに私もいつも助けられ、楽しませていただいています!
何が凄いって、自分自身の意思で歴史を作った所なんだよね。
流れの中で功を為したのではなく、自分で流れそのものを作ってしまう。
呂不韋回、、面白かったです!!
商才があり政治も操り軍隊も率いていく、、間違いなく逸材なだけに、とも思います
関連の動画も見ます!
ご支援ありがとうございます……!!
お褒めの言葉に加えて格別のご厚意……まこと感謝感激雨霰でございますッ!!!
聶遠さん「呂不韋、乾隆帝、ホンタイジ、趙雲、玄奘三蔵の弟子の弁機を演じました。」
今回の動画の登場人物の中では華陽夫人(太后)が一番幸せですね。呂不韋の自決後も秦王政の義理の祖母として敬われ、秦による楚への侵攻が始まる前に他界しています。
呂不韋の出世のきっかけや内政、大分学識を感じる…若い時かなり勉学に励んだんかなぁ
Thanks!
いつもご支援いただき、まことに感謝いたします……!
有り難き事この上ありませぬ……!!!
李斯は呂不韋の食客だったのですね。呂不韋失脚後も始皇帝から重用され続けてますから、相当優秀だったのでしょうね。いつか、李斯の動画も見たいです。
キングダムがさらに解りやすくなりました!ありがとうございます!
宮城谷春秋シリーズいいですよねー!
楽毅が好きすぎる😀
親戚の可能性がある呂公が、わりとリスクヘッジな贈与したのに対して呂不韋は全賭けしてるのが面白い
呂不韋キターー「始皇帝をつくり」っていうところが意味深w
そうですね。自ら王になろうと努力した呂不韋が、どこかで男より父でありたいと願ったなら、王の上に立つ皇になった我が子に処刑される時、さぞや満足して逝ったと思いますよ。
李斯もだけど、一介の士から国を操る宰相にまで上り詰めた野心家が悲惨な末路を迎えるのを見ると、何が幸せなのかわからなくなる。
斉の桓公と管仲は、李斯や呂不韋とは逆でしたね。
管仲はかつて桓公の暗殺を実行した人物でありながら、後に宰相となり桓公を覇者とした「王佐の才」
桓公も生涯管仲を疑うことも失脚させることがなく、桓公の失政は管仲の没後にやってきた。
幸せに命を全うするのに李斯や呂不韋に何が足りなかったかといえば、鮑叔がいなかったこと、ですかね。
まず初動の動きが出来る情報を持っているのが凄い
死後、食客たちが墓を作ったそうです(河南省偃師区首陽山鎮)。
始皇帝の追及を避けるために、呂不韋の母(あるいは妻)の墓とされたそうです。
呂不韋ってほんと現代社会からしたら考えられないくらい超絶出世ですよね🙄
こういう背景とかも語られてる動画って少ないので楽しく見させてもらいました!
趙姫
元々、一富豪の囲い女だったのに、大国の国王の母君にまで上り詰めている…………………
(当然ながら、かつての囲い主の呂不韋と立場が逆転している、というおまけ付き)
始皇帝からすればなんとしても排除したい立ち位置ですよね、どうあっても身を全うする事は出来なかった感……
でも歴史に残したものは偉大すぎるほど偉大な人物でもあります
呂不韋は決して仁君ではないと思いますが呂氏春秋を残してくれたこの一点だけで、もう充分だと思いますね。
後世に残るのは記録したものだけですからね。
確かに
達人伝読んでみようっと。
兵馬俑だったと思うが、呂不韋の名前が刻印された武器が発掘されていた。
「奇貨居くべし」は面白かった。
范蠡のように、晩年も上手く過ごすのは難しいですね
めちゃくちゃ見応えあった!
力作ですね。お疲れ様です。
権力を縦にするという点では、
王や皇帝よりもその側近、ブレーン的な存在の方が、表立ってない分低リスクの
旨味があり
やり方次第では実質一番の勝ち組だよなあ、と個人的には思ってました。
最期以外はいい人生だったんじゃないですかね呂さん。
商人は、士農工商では一番下位の身分から士大夫の頂点である宰相まで登り詰めたのは、戦国時代では最初の具体例を作り出した存在ですね。
呂不韋の才能はまさに多才ですね。
始皇帝にとって「目の上のコブ」であった呂不韋。范蠡のように、どこかの時点で全部捨てて逃げるぐらいしないと終わりを全うすることは出来なかっただろう。
なお呂不韋・趙太后・嫪毐の関係は、我が国奈良時代の恵美押勝・孝謙女帝・弓削道鏡の関係に当てはめられて面白おかしく語られた。為に、恵美押勝は女帝の寵愛を道鏡に奪われた嫉妬で『恵美押勝の乱』を起こしたことになり、嫪毐に例えられた道鏡は“キョコンの男”と無い名を付けられてしまった。史実の当人たちには大変な風評被害だろう。
道鏡の復権も最近はなされてきてますね。
呂不韋の功績としては、文化的には呂氏春秋。これは誰もが納得するところであろう。
さて、春秋戦国時代は周代の身分制度が色濃く残る時代である。基本、支配階層の下層から位を昇りつめることはあっても、被支配階層から位を昇りつめることはなかったことを考慮すると、呂不韋が位を極めたことは異例と言えよう。
また、いくら秦において商鞅の変法以降、軍制では庶民でも功績で階級が上がっていく制度を創設したり、徹底的実力主義のおかげで能力さえあれば出世できる環境という素地があったとしても、即位前の功績でいきなり秦国外の要衝を与えられ要職に就いたのは、やはり異例と考える。
司馬遷は、呂不韋は外面は良くとも内面は不誠実であったと批評しているが、為政者で全てにおいて誠実な人間なぞいないわけで、やはり儒教の影響を強く受けた批評であると考えられる。
今回の投稿を見るに、呂不韋は先見性と交渉力、それから政治力を兼ね備えた傑物であったという評価をしたい。
華陽夫人の画像が美人すぎてしばらく集中できなかった…
コウラン伝の作中で幾つになっても美魔女でした。
宮城谷さんの小説は好き
横山版史記、華陽夫人の名ゼリフ。「そうなのよねえ」。
安国君と華陽夫人の画像がコウラン伝。嬉し懐かしい。
作中の趙姫は清楚で凛とした立ち居振る舞いの描写でした。
「奇貨居くべし」
まさに人類史最大級のバクチに
勝ちかけた男💣
かけただけ、、
ちょうどキングダムで呂不韋でてきたからタイムリー
こういう人物は得てして運で名声を得た成り上がり者というイメージを持たれますが、それを黙らせるほどの名声と知謀と先見性。
政治や外交戦略で力を発揮した英雄型の人間とはまた別種でしょうが間違いなく傑物と呼べると思います。
宮城谷先生の「奇貨居くべし」、当時宮城谷先生の本を漁っていて、続巻を首を長くして待った思い出がw
先生は中華初の民主主義者と称したけど、実際はどうだったんですかねぇ。
ふむ、呂不韋さんが異人太子に興味を持ったのは異人太子が聡明だと聞いたからなんだね。だからハッキリ貴方を支援するから見返りを下さいって言ったし、異人太子も其れを直ぐに理解して国の半分を渡すって凄い取引をしたんですね。国の半分かぁ!異人太子も凄い人だったのですね。
荘襄王の早死には結果として
呂不韋の早死ににも繋がったような気がします。でも荘襄王がもし長生きしてたらと考えると色々難しい…。
呂不韋くらい有能なら先手を打って反乱を起こす機会はいくらでもあったと思うけど
最後まで反乱を起こさずに静かに自殺したのは秦王政が自分の子供だからという気持ちもあったからじゃないかな
この二人の間にしかない独特な関係が確かにあったと思います
農業中心だった当時の社会で、商人呂不韋の財力・人脈・情報力・行動力は革命的でしたね。2200年前の話なのに、成功と破滅と内情がここまで生々しく記録されているのも凄いと思います(笑)。
たた
キングダムの呂不韋の回想で商人の上司とのやり取りが印象に残った
@@コーッケッコあれ父親だと思ってた
『達人伝』での呂不韋の人物造形が好き
呂不韋が始皇帝の父親かどうかは永遠の謎ですね。
史記は秦を倒した漢の時代の書物なので、
秦王政を貶めて秦の正当性を否定する理由はいくらでもあります。
一方で、始皇帝の異常なほどの革新性は、王族の血筋を引いていないその出自に由来する、と考えると辻褄が合うような気もします。
ま、今更DNA鑑定も出来ない以上はほんとにこれは謎ですね。
僕は個人的には托卵派です。
その方がこの伝説的な皇帝の性格に相応しく、話としても面白いので。
『キングダム』でしかリョフイを知らない人には、『奇貨おくべし』をぜひ読んでもらいたい。本当に面白くて何度読み直しても楽しめます。
宮城谷先生の戦国中期から漢の初頭の頃を描いた作品を、『モウショウクン』、『ガッキ』、『奇貨おくべし』、『コウランキ』、『劉邦』と時代順に読むことができれば、さらにいいと思います。
ロウアイ
もしかしたら、生前は「李○」「張○」とかの姓名だったけど、死後の「刑罰」として、このようなあまり見かけないネーミングにしてしまったのかも?
(まあ、これは裏付けの無い戯れの想像ですが……………)
呂不意が長靴をはいた猫になりきれなかったのは、カバラ男爵が早々に亡くなっちゃったからでしょうね。
まさに邯鄲の夢…
コウラン伝を使ってくれて、嬉しい!ありがとうございます!
おはようございます。まさかアイドル鳥越ちゃんが来るとは!あの自分を捨ててるスタイルには驚嘆!ある意味尊敬してしまいますww
呂不韋キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!まあ、才によって位人臣を極め、才によって(女性関係?)滅んだ人間の代表の一人でしょうなあ。
それにしても始皇帝は誰の子だったのか?未だに分かりませんが、きっと未来永劫分からないんだろうなあ。
陰謀論的な事を言えば荘襄王を密かに暗殺し年端の行かぬ嬴政を操り人形にしたまでは良かったが嫪毐の件で、大后との密通と出生の秘密まで知られて身を滅ぼす事になったとか?
この後にごろつきから皇帝になる男に結果的に先行投資することに成功し、権勢を手にする一族も呂姓なんですよね。
偶然にしても凄いなぁ。
呂不韋の同族とされている人物…呂公・呂雉 (郭沫若・佐竹靖彦等)
呂不韋の末裔と思われる人物…呂凱 (『三国志』蜀志呂凱伝)
呂不韋、最後の最後は女性関係で失敗してしまいましたね。
切るに切れなかったんでしょうね。
呂不韋ほどの人物が簒奪をしなかったてところに、
当時の身分制すごかったんやなと思います。
始皇帝の母ちゃんスケベすぎる...
中華は頑張っても運ゲーなので太く短くの人が多い気がするが、呂不韋は宦官外戚を除き中華史上一番太く短かった気がする。
今更ながら、呂不韋が異人(子楚)を邯鄲で見た瞬間が「その時でした」(松平定知)ね。
イメージとしては田中角栄。善ではないが悪でもない、清濁を豪快に飲み干す傑物のイメージ。相手が始皇帝でなければ秦のために、名宰相として最期を全うできたと思う。
凄い方ですよね~😅魅力的な人生💖
左下にカルマいるのほんと好き
秦王政は荘襄王の子であって欲しいし、そう信じている。
呂不韋は最期心残りもあったろうけど、納得はいったのでしょう。
幸せだったかどうかは別として。
医療も栄養学も発達してない当時、死ぬ時は本当にアッサリ死んでた。しかし当時は老齢扱いである50を超えてたとはいえ、孝文王の死が唐突すぎて呂不韋による毒殺説すらあるんですよね。
荘襄王がもう少し長生きし、成人した政が即位する時点で引退すればうまく逃げ切れた可能性はありそう……
「夫れ聞なる者は、色に仁を取りて行いは違い、之に居りて疑わず。邦に在りても必ず聞え、家に在りても必ず聞ゆ。夫聞者色取仁而行違、居之不疑、在邦必聞、在家必聞。」(孫子 顔淵篇)でしたでしょうか。司馬遷は、呂不韋を上辺だけの人と言いたかったんですね。呂不韋は政治家、商人だったんだと思います。報いは受けたのだから、呂不韋という政治家、商人だったという、それ以上も以下も無い評価でいいのかな。(笑)動画面白かったです。長文すみません。
31:21
秦の宰相は割と処刑されがちだから、孫子の代まで報われるのはかなり厳しいんだよなぁ。商鞅や李斯はどうなりましたかね。
怒涛の「いじん」ボケラッシュ、わかりつつも笑ってしまって好き
孝文王も24みたいにタイマー付きで72時間フルにやれば最長動画になる(睡眠時間+倒れてる時間含む)
やはり中国史は面白い!
ビールも美味い!
最強の組み合わせです!
いつも渾身の動画ありがとうございます🙇♀️
本筋とは異なるのですが、支配者階級たる士大夫?階級というのは結構後世まで統治?システムや要路として残っていたと聞いたような気がするのですが、どういう由縁の人が士大夫階級になったのでしょうか?何かの折に教えていただけますと幸いです。
栄華をきわめたら素直に身を引けという教訓の典型的人物なのかな😔
それがなかなか出来ないのが人間だし、周りが許さなかったのかもしれないけど。
斎藤道三の逸話は呂不韋を参考にしてるのかな
チソコで立身して
チソコに滅ぶ。正に漢の中の漢。
知性に優れたチソコという珍しい
歴史的英雄。
孝文王が在位3日と言うのは
何やらきな臭いですね
即位の礼や戴冠式等 結構体力のいる儀式は挙げられた身体が僅か3日しか持たないなんて
勿論 心臓発作や脳溢血等の突然死
は有りますが 孝文王の次王が荘襄王なので呂不韋が暗躍したのでは?😱
必ずしも、暗躍とは言いきれないかと(汗)😅
当時の孝文王も
既に40代後半~50代になっていたし
何せ、その父で前王の昭襄王は
推測で60代後半~70代辺りで亡くなっているし
当時は、亡くなって直ぐではなく
一年忌?を過ぎてから
王を称していたから
それほど不思議な事でもないかと(汗)😅
@@kar-zyu 様
一年忌で王号が与えられる?
そうなんですか?Σ(゚д゚;)
初めて知りました 🤧
1年あればそれ程不自然でも無いですね😊
なんせあの呂不韋ですから邪推してました( ̄▽ ̄;)
呂不韋といえば「奇貨居くべし」
キングダム読んでていつ出てくるかな?と思ってたら、太后とのアレの最中にぶっ込んでくるとは
恐るべし原先生w
今回も動画を閲覧した者です。
今回もキングダム回、呂不韋と来ましたね。
キングダムの影響からか、動画の呂不韋の顔が古い書画ではなく、キングダムの顔に見えてしまい、その顔から覇気を感じますね。
呂不韋は動画でも紹介されたように、財力、行動力、弁舌が当時の人以上にあったからこそ、歴史に残ったと思いました。
しかし裏の面は始皇帝の人格と人生に影響を与え、始皇帝にダークサイドの面を与えてしまったのではないでしょうか?
文化面、政治面、経済面は投稿者さんの言うように評価に値しますが、裏の面を考えると、複雑ですね。でも人間誰しも完璧ではないので、どう評価すべきか、難しいですね。
今回も良い動画を提供していただき、ありがとうございました。
呂不韋はメジャーなキャラクターなので、そろそろメジャーなようでメジャーではないキャラクター、又は遊侠の徒【主に朱家】、又は夏侯嬰【夏侯惇の祖先】をリクエストします。
コロナ過の真っ只中ではありますが、投稿者さんも身体とメンタルに気をつけて、今後もより良い動画を提供していただければ、幸いです。
話が長くなりましたので、ここで筆を置きます。
春秋戦国時代の動画で顔が分からない人をキングダムのキャラ絵で代用するの好きw
荘襄王が呂不韋に与えた洛陽って当時の秦の勢力圏だったのですか?
11:14
ちょっと、ドラクエ1の竜王っぽいですね。
もちろん偶然の一致でしょうが。
_人人人人人人人人人人_
> アイドル鳥越人間 <
 ̄Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y ̄
呂不韋の子が始皇帝というのは間違いないのだろうか。非常に気になりますね。
奇貨居くべしでは、「王を法の内側におければ、秦は長命になる」と言ってそれを目指したけど、うまくいかなかったんだよなあ。王を法の内側に入れるとは立憲君主制に繋がるから、それが実現できれば秦はあんな滅び方はしなかっただろうなと思う。
立憲君主制が初めて確立した国は、十七世紀のイギリスじゃん。もし、この時代の秦に立憲君主制を採用しても時代錯誤やろ
@@ナンジェイミン
ポーランドのヤゲウォ朝の方が早いかと
とりごえ食品のうどんが、もう一度食べたい。。
李斯を推挙したのも超超超大手柄!
呂不韋はおそらく間違いなく始皇帝も父親でしょうね。
しかし、それを史記に記すと、漢にとってもあまりよくなく……
呂雉、親父が人相観の達人とのことだが、一介の地方の小役人が一国の王になるなど誰が予知するであろうか?
そんな遊び呆けた男に娘をやる男……漢帝国の父の呂公……
呂氏が商(殷)人であったなら、地方に散らばっているのも納得できます。
皇帝の後ろに呂氏ありきとなっては始皇帝みたいに面目丸潰れですしね。
宮城谷せんせいの呂不韋はすごくいい話だけど、キングダムとかでは悪役ですよねー
彼の死後、一族は第二の奇貨を求め、全国に散った。その一人が漢高祖の妻、呂太后の父呂公だと言われている。
スケールダウンすると劉備における糜竺。然れども、温和で善良な分終わりがよろしい。
なるほど、おもろい
確か最後弟が裏切って土下座謝罪することになったんだっけか....いい終わり方かなあ...
(劉備は気にするなって言ってくれたけど)
本当に始皇帝の父親だったんですかね……俗説では漢の高祖の妻である呂后も呂不韋と同じ一族の可能性があるんでしたっけ。まぁ色々な噂話がついて彼の事績は都市伝説じみたかたちになっているなと思うところがあります。
ですが、それでも呂氏春秋を編纂した功績は大きいかなと自分も思いますね。百科事典としては、ローマの大プリニウスが編纂した博物誌よりも250年近く前の時代のものですし。
蜀への徙刑だったにもかかわらず、これ以上ジタバタしても見苦しいから、覚悟を決めて毒を仰いだ… 潔い最期ではなかろうかとも思えます
親の代から商売で鍛えた交渉力と説得力、そして後に始皇帝の父とされる「子楚」こと秦の荘襄王を見出し、後年「呂氏春秋」を編纂した呂不韋。始皇帝の実父と言うことで当の始皇帝の怨念を買い自滅する羽目になるが、その奇功奇才ぶりはもっと評価されていいと思うが。。。。
呂不韋が身を全うする世界線はあったんやろか
やはり、「一富豪として生涯を全うする」しか思いつきません……………
(経緯は異なりますが、越の范蠡も亡命後、富豪「陶朱公」として余生を全うしましたし)
キングダムなら秦が権力を得る前に暗殺する機会が沢山あるけど史実の呂不韋が、どの程度の権力があるか分からないので何とも言えない…
始皇帝の母ちゃんってスキモノやな🤔
「達人伝」でのその場面も面白い。生まれた子が呂不韋そっくりなのがなんとも言えない。
趙に人質がいたのになぜ長平の戦いは起きたのですか?
山ほどの恩も、一簣(いっき)の恨みですべてをなみす。
これだから中華史は面白いけど、中華人が絶対に幸せにならない絶対的な理由。
呂不韋が秦王政の母とよりを戻し、密通をした事自体は評判は良くない(政敵に讒言の口実を与える)にせよ、当時の秦の法では違反ではなかったし、嫪アイの乱で処罰されたのも、そもそも嫪アイを趙太后に推薦した人物だから、それに連座しただけだし、蜀への流罪を言い渡されたのも、蟄居処分後も食客を頻繁に招いたりしていたので、嫪アイの件での反省の色なしと見られたからであり、そこに秦王政個人の感情はあまり入っていないと思います。ただ、肝心の秦王政が呂不韋をどう思っていたのかは資料に残っていないみたいでわからないんですよね…。(当時すでに秦王政の実父は呂不韋であるという噂が流れていたみたいなので、あまりいい感情は持っていなかっただろうが…。)
呂不韋ほど栄枯必衰のいい例の人ってあまりいないですよね。ただ、「奇貨居くべし」といって、実際に行動に移し、栄光をつかみ取ったのはすごいと思います。呂氏春秋の編纂や李斯などの後の始皇帝を支える人材を招くなど、何やかんやでその後の中華史に大きな影響を与えていますし。
周王朝に完全にとどめを刺したのは呂不韋だったのか…。約800年続いた歴代中華王朝最長の周もこの時についにその命脈が絶たれたのか…。(なお、秦末期に各地で秦に滅ぼされた諸国の復興を叫んだ集団が多数現れたが、どうも周の復興を叫んだ勢力はいなかったらしい。何か哀れ…。)
いわば「逆范蠡」か。
少し不思議なんですが、
異人はたくさんいる子どもの一人だったとして、
「人質」だったのは間違いない訳で。
普通、人質ならお互いに攻撃された時、殺されると困るから人質の価値が生まれるはずで。
そうすると「冷遇されていた」は「どの程度本当なのかな」と。
勿論、当時の秦と趙ですから「人質の効果は薄かった」のも間違いないでしょうけど、呂不韋の手腕を示すために「話を盛った」気がするんですよね〜🤔
ま、証拠はないので、何か検証可能なものが出てこないかなぁ、と思います。
呂不韋と始皇帝の遺骨が残っていれば、DNA鑑定が出来るかしら? 親子か否かが分かるかも。
初見帰宅時の車中で聞いてて
安国君がどうしても暗黒君に
脳内変換されて、ダースベイダーかよと思た。異人に暗黒君、
スターウォーズのスピンオフに
なりそう。
呂布カルマさんいますね(▭-▭)✧
見逃しませんでしたよォ⚯˶👌🏻カチャ……
商人としては辣腕ながら、扱った商品についての理解が深くなかった事が命取りになった感が…